1995年7月21日(金) 小雨のち曇りのち晴れ

走行距離 415キロ

 NTTカードが到着せず、出発時間を遅らせた。AM8:30七沢郵便局に書留を取りに行きAM9:00小雨の中出発した。子供達との別れはつらいが、計画より14年間やっと実現になった嬉しさの方が勝っている。AM9:15大和の工場に勤めている母を訪ね、そこで雨具に着替えた。雨はポツリポツリだが、長距離だとさすがに体にこたえるのだ。雨具を脱いだのは千葉の市原まで後2キロ付近であった。大和から瀬谷に抜け、保土ヶ谷バイパスは大渋滞であった。横浜、川崎、品川を通り、銀座日本橋を通過した。渋滞且つ雨、尚且つ東京となるとバイクではかなり疲れた。日本一地価が高い鳩鳳堂や日本橋の石碑、そして笹川良一氏の葬式を見物できたのは良かった。千葉までの道路地図は簡単なものしか(コピー)しか持っていなかったが、運良く一発で千葉方面に行けた。雨はまだポツリポツリと降ってはいたが、日本一周への期待感が勝っていて楽しかった。途中両国の吉野家で昼食(牛丼)を取り、家に電話をした。千葉方面に行くと、間違えて有料道路に乗ってしまい、木更津北で下り、富津岬を目指した。(125CCの原付では乗れない有料道路(高速自動車道路)だった。)結構クラクションを鳴らされていたような? 富津岬は近代芸術のような展望台があり、無料で見学できた。その後、野島崎を目指した。ちょうど海女祭りの日に当たり、夜店がたくさん出ていた。灯台を見て房総半島の最南端に立ってみると風がとても強かった。その後房総半島の海岸線を走り、きれいな夕日ではなかったが、気持ち良く走れた。時間も遅くなり、鴨川あたりで野宿できるところをなんとなく探しては見たが、見つけられず、とうとう銚子市の手前の飯岡町に来てしまった。途中また自動車高速道路に入りそうになった。料金所のおじさんは125CCでも通過したいならば入れてくれるとは言ったが、やめておいた。PM9:00頃到着し、展望台の階段の下にマットと寝袋を敷き、寝た。その前に途中のセブンイレブンで弁当とビールと冷酒を買い込んだ。しかし暑くて2時間ほどしか眠れず、しかも蚊にやられてしまった。今朝も(22日)も雨が降りそうだ。

22日AM4:08 千葉県飯岡町の海岸にて

 

inserted by FC2 system